ふよふよと浮き動きながらあたりを見回しては川縁で流されてきた厄を絡め取りまたあてもなくゆらゆらとさまよう。ごくたまに、迷い込んできた人間なり山以外の妖怪なりを追い返す。日がな一日そうして過ごす。
それが、今までだった。
これからも、日々はそうして続いていくはずだった。
がさりと枝をかき分ける音がする。積み重なった落ち葉を踏む音はしない。なら動物や人間ではあるまいと振り向いてみると、果たしてそこにいたのは人間だった。空を浮いているため葉を踏む音がしなかったのだ。その姿には大いに見覚えがある。
「相変わらずここは空気が悪いわねえ」
忘れようか、人が親切で追い返してやろうとしたものを弾幕で返してきた恩知らずな人間である。
「なぁに人間、まだこの山に用があるの?」
雛は自分の周りを取り巻く色濃い厄がゆるりと動こうとするのを引き留めながら、人間に胡乱な視線を向けた。
「ああ今日はね、山じゃなくてあんたに用があるのよ」
一体また何を言っているのかと、雛は首を傾げる。自分は厄神だ。遠くにありて厄を引き受けるのが力であり役目である。側にのこのこやって来ては厄のとばっちりで不幸になる。何の意味も無いではないか。
よくわからないこと言ってないでさっさと山を下りなさいな、と雛は返そうとした。同時にくるりと人間に背中を向けた。が。背後に不穏な気配が生まれたのを感じ、即座に振り向く。そのおかしな人間と自分の間に、素晴らしい数の霊弾が生まれているのを見て、雛は目を剥いた。
「な、なっ?」
予定していた台詞の代わりに自分でもいささか間抜けと思える声を上げながら、雛は慌ててそれを避ける。
「あんたも神様なんでしょう? 上の二人が言ってたわよ、神様とは遊ぶもんだって。それが祭りなんですって。じゃああんたとも遊ばないと」
変わり種の巫女服をまとった服よりも変わり者の巫女は、涼しげに笑う。その周りにはおよそ涼しさとは無縁なほどの弾幕が出来上がっている。
ちょっと待てそれはああいった信仰と徳が密接に関係した神族の話であって自分は違う自分は。そう言ってやりたいのだが何せ飛んでくる弾の数が半端ではないので避けるのが精一杯である。声を上げる余裕など、どこにあろうか。
束になって飛んでくるのを右に交わせばそこに追尾弾が追い打ちをかける。それをどうにか身体を捻ってやり過ごし、お返しだとばかりに厄符をお見舞いしてやるが見事に全て交わされた。
「まだまだいくわよー」
暢気な声が飛んでくるがこちらはそれどころではないというのだ。いい加減手を止めろ話を聞け。やはり言葉は出ない。出せない。
結局半時間ほど弾幕の押収を繰り広げた挙げ句、自分が敗北して終わり、雛は散った紅葉の山にぐったりと仰向けに崩れ落ちた。身体の下敷きになった乾いた葉が背中でがさがさ音を立てる。ぜいぜいと息をする雛を尻目に、巫女はいい汗かいたとばかりに持参の水筒から茶を飲んでいる。
冷たい風が吹いて汗の浮いた額を撫でた。赤く染まり互いに絡み合うようにして枝を伸ばす紅葉の隙間から見える空は清々しく青い。対して地面にへたばる自分は何ともみっともない。これでも一応は神の端くれだというのに。
惚けたように空を見詰める雛に、巫女は
「じゃあまた遊びに来るわねー」
聞き捨てならない一言を残し、あまりのことに一瞬意味の理解が遅れた雛が飛び起きて反論するよりも先にさっさと枝を縫って麓に戻っていってしまった。
人の話を聞け、という言葉が空しく口の中で行き場所を無くしている。きっと次に来たときも問答無用で霊弾が飛んでくるのだろう。
ああもう自分は信仰があろうとなかろうと人がその存在を知ろうと知るまいと厄神であってその力は決して衰えはしないというのにどうしてこんな目に。
背中から落ち葉の山に後戻りしながら、雛は遠く視線を飛ばし彼方の空を見やった。良い天気だった。気分良さげにつがいらしき小鳥が羽ばたいてゆくのが見えた。上がった息はようやくおさまろうとしていた。
全く、これで疲れて厄を集めることができなくなってしまっては本末転倒ではないかと、雛は肩を竦めた。
視界は美しい黄と橙と赤で埋め尽くされている。まだ殆どの紅葉は枝にぶら下がったままで、ようやっと全ての葉が染まったかという頃合いである。つまりは盛りだ。これから山に迷い込んでくる人間が増える。それも追い返さなければならないというのに厄介事が一つ増えた。
地面に寝転んだままで雛はため息をついた。
遠くで、鳥の鳴き声が聞こえた。
それからというもの三日にあげず巫女はやって来て予想通り問答無用で弾幕遊びを展開して気が済めば機嫌良く帰って行く。後には疲れ果てた雛が残される。
厄神の力が信仰と関係ないのだということは未だに言っていなかった。言う機会も与えられなかったし、半ば言う気も失せていた。言ったところで無駄なのではないかとも思う。もうこの際だ、好きにすれば良いとも思う。
ただ、何となく、言う気を無くしたというよりは、もっと違う感情が、そこにある気がした。
巫女の来襲は続いた。その度に雛は全力で応戦してやった。時には新しく考え出した符を投げつけてやることもあるのだが、大抵は華麗にかわされた。向こうの新技はおおむね見事に喰らった。打ち落とされて紅葉に埋もれ或いは渓流に落とされ、何で自分は神なのにこうも人間にしてやられるのかと、しばしば理不尽にも思った。
話をするようになった。わりとどうでもいい話ばかりだ。今日は天気が悪いとか明日は雨になるんだろうとか、今年の林檎は出来が良いとか、夏が長かったので紅葉が遅いとか。雛にとっては何の必要もない話ばかりだったし、おそらくそれは巫女にとっても同じだろうと思う。だけれども話は続いた。弾幕の応酬の半時間で終わっていたのが、そのうち一時間になり、会話のほうが弾幕遊びよりも長くなり、巫女は夕方まで居着くようになった。
名前を聞いたので、人間、とか、巫女、とかではなく、霊夢と呼ぶようになった。何だか慣れずに最初は居心地が悪かった。考えてみれば人を固有名詞で呼ぶのは初めてである。名前で呼ぶ必要があるほど自分以外の誰かが自分の側にいることなど無いからだ。
紅葉が散り始めた。朝夕が随分寒い。雛にはあまり関係が無い。寒かろうと暑かろうと大して問題無いので彼女は年中半袖の服を着ている。腐っても神だ。霊夢は寒いとぼやくようになった。ならそんな肩の出た服をやめて他のを着ればよかろうにと雛は思ったが口には出さなかった。その服が似合っているので我慢の限界まではそれを着ていてくれたほうが自分としては嬉しい。
紅葉の絨毯が、木々に残る葉よりも厚くなり始める。もう盛りも終わるのだろう。山に散策に山を登る人間も少なくなる。けれど霊夢は相変わらずやって来た。雛はそれを迎え撃った。
ふわふわと雛は紅葉の隙間を漂っていた。霊夢は昨日襲来したところなので今日は来ないだろう。
何となく手持ちぶさたに、雛はくるくるとあたりを見回す。ひとつ。ふたつ。見つけた鳥の巣を何の意味もなく数える。みっつめがあった。だからどうだというのか。答え無く、よっつを数える。
山は静かだ。静か、なはずだ。
そこにざわめきが割って入る。話し声が段々近づいてくる。結構な大勢のようだ。紅葉狩りには盛りを過ぎているというのにどうしたことか。大勢を山に迷わせたりすることなく追い返すのは手間なのになあと少しげんなりしつつ雛は声のする方に行ってみた。
わらわらと少女の一団が山を登ってくる。その中に霊夢が混ざっていた。仰天して雛は霊夢を呼び、仮にも厄神のところに一体またどうしてこんなたくさん連れて来たのかと尋ねた。霊夢は、何かと言えば酒盛りだってうるさいのがうちの周りにはたくさんいるのよ、だから紅葉狩りに連れてきたのと答えた。
少女達は皆それぞれにきょろきょろと紅葉の木々を見回してはまだ結構綺麗ねえと口々に言って笑った。何人いるのやら、大方妖怪だ。鬼も混ざっている。まだいたのか。雛は少なからず驚いた。亡霊もいる。亡霊だか人間だかよくわからないものもいる。各々酒瓶やら重箱やら携えている。そうこうする内に渓流のほうから声が聞こえた。河童達だ。最近は引きこもりがちだというのに人前に出てくるとは珍しい。
雛は呆気にとられてその様子を眺めていた。こんなにたくさんの自分以外の誰かを目にするのは勿論初めてだった。誰が誰やらもわからず呆然としている雛の前で、少女の集団は毛氈を敷き食べ物を広げ、酒盛りの準備をしている。提灯なりランプなりを大量に持参しているところを見ると夜まで居座るのは決定事項らしい。
たまには祭りらしくにぎやかなほうが良いかと思って。明後日の方を向いてしれっと霊夢は言った。
早々に宴会が始まっている。二人とも早く来いよーと誰かが呼んだ。
紅葉なんてもう半分以上散ってしまったのに。いくらまだきれいだと言ったって、こんな冷え込む山の中に来るよりも、もっと酒盛りに良いところがあるだろうに。霊夢は自分の神社にも紅葉があると言っていた。麓にあるから寒い山より紅くなるのが遅かったと。ならまだそっちは辛うじて盛りの美しさを保っているのではないだろうか。
くるくると回る考えを何一つ言葉にできないでいる雛の手を霊夢は引いた。ほら呼んでるじゃない、行くわよ。
楽しそうに皆笑っている。たくさんで集まって騒いでいる。それは雛が自分には縁などないと最初から求めることすらしなかったものだ。
じんわりと腹の奥があたたかみを増すのを感じた。掴まれた手首もあたたかかった。
ありがとうと、呟いた言葉は目の前の霊夢の背中に消えた。返事は返ってこなかったけれど、きっと聞こえた筈だと雛は思った。
ふわふわといつもの通り道を漂っていた雛は、渓流を隔てた向こう側に咲く真っ赤な端の一群に、ぽつんと白が混ざっているのに気付いた。
炎のような彼岸花の中に、たった一輪白い花。確か全部赤だったように思うが今日咲いたのか。それとも昨日までは赤に埋もれて気付かなかっただけなのか。
向こう岸に咲くその白い花を雛はじっと見詰めた。何となく霊夢を思い出した。
どちらかといえば赤いほうがあの巫女の気性にも衣装にもしっくりくると思う。白い花といえば清楚とか可憐とかいう言葉が浮かんでくるが(言っては悪いが)霊夢はそれよりは大胆とか派手とか適当だとか、そっちの単語のほうがお似合いだ。だけれども雛は何故だか咲き誇る美しい赤の花々よりも、ひそりと一本赤に囲まれて咲く白い花に風変わりな巫女を思った。
何故だろう。考えて理由に思い当たる筈もなく。
渓流を隔てたまま、近寄る事もせず、雛はその花の群れを眺めていた。
雛はとてもよく理解していた。
ただ忘れていた。
初めて誰かと過ごす日々の中で、ただ、忘れていた。
自分自身が人に害為すものではなくとも、自分を取り巻いているものは間違いなく忌むべき厄であることを。
それは確かに人を害するものであるということを。
(つづく)
2007年紅楼夢にて出したCDサイズのミニ本のss。
2008年紅楼夢で再版できなかったため、ご存じ無い方も多いかもしれません。